今日は自宅で父と過ごせる最後なので、朝食は父の好きな物を取りそろえました。
山崎のダブルソフトにコーヒー、スーパードライにハイライト。
ダブルソフトにマーガリンとはちみつをたっぷり塗って食べるのがお気に入りで退院した11月、元気な頃は1日に5枚食べることもありました。
コーヒーは砂糖とミルクをたっぷり入れたもの。
ビールは山口に引っ越してからは飲まなくなりましたが、
たばこは3日で2箱のペースで入院直前まで吸ってたので
久々に吸えて喜んでもらえたかな。
最近はいつも帽子をかぶっていたので、遺影にする写真には苦労しましたが、探していたらちょっと古いけどいいのがみつかりました。
10年程前、我が家にエルが来た頃の写真でとてもいい顔をしています。ずっと柴犬を飼いたがっていたので、満足気な顔。エルも小さくてかわいかったなぁ。
父はいつも僕のそばにいてくれてました。
兵庫、島根、東京、神奈川、山口と私が生きてきた45年全ての時に。
大学に受かり上京した時は、父が出雲で商売に失敗し新天地を求めて一緒に普通列車を乗り継いで東京に来ました。
二人ともお金はなく、私は新聞奨学生になり、父は雇ってくれたおこわ屋さんで一生懸命働いてくれました。
26年ほど前のこと、父も56と若くはなかったのですが、渋谷の東横のれん街やひばりが丘のパルコで働いていた頃はいきいきしてました。
杉並区久我山の風呂なしの安アパートに二人で住んでいましたが、報知に入社し、30歳で横浜のマンションが買えた時は本当に喜んでくれました。
ずっと芸能記者になりたかったのですが、「お前なら芸能記者になれる」といつも言ってくれていました。
逮捕される直前のASKAが玉置浩二のライブに飛び入りで参加したニュースで会社から表彰された時は賞状と社内報を額に入れ飾って喜んでくれました。
早期退職を選ばず、会社に残っていたら芸能記者になれていたかもしれませんが、逆に記者なんてやっていたら父の最後の数か月こんなに長く一緒にいられることはなかったでしょうから決断は間違っていなかったと心から思えます。
ただ父の生きているうちにHPで成功を収めることができなかったので、落ち着いたらどんどん更新してライブに関しては日本一のサイトにします!
父との会話をできるだけメモはしていました。
12/4には「お前には迷惑かけたな。長ないのはわかってる。これからの人生を生きろ」と。
「明日は休みか?」と聞かれ「うん、明日は休みだからずっといるよ」と答えると「そうか」と言ってうれしそうに笑う顔は子供のようでした。
大晦日には「いい思いさせてくれてありがとう」そして「元気で」と言って顔をなでてくれました。
1/5には「最後に一緒に風呂入ろう」と言ってくれたけど、かなえられなかったですね。
入院する直前の数か月は一緒に風呂に入ってましたが、本当にうれしそうで「死ぬまで一緒に入るぞ」と言ってました。
一緒に風呂に入る時間やお互いにバリカンで髪を切りあっていた時間が本当に本当に幸せでした。
最後の言葉となったのは1/25、「もうええ」「さよなら、元気で」でした。
私の人生において愛情を一番注いでくれたのは父ですし、
私が人生で一番愛していたのは間違いなく父です。
父がいない世界は本当にさびしいです。
平井堅の「写真」という歌があります。
「あなたの子でよかったと 心から思う」
苦しくつらい時期もありましたが、お父さん、あなたがいてくれたから今まで生きてくることができました。
これからお通夜、葬儀となりますが間違いなく泣き崩れてしまうと思います。
「泣くな」と天国から言われそうですが、最後だから許してね、お父さん。
あなたの子でよかったと心から思います。
遺影にした写真。
10年前念願だった柴犬をペットショップで買って
家に連れて帰った時の表情。
満足気ないい顔をしてくれています。
家での最後の朝食。
父の好きな物をそろえました。
「父の葬儀を終え」 (2018/02/02)
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